「一つのパーツ」にこだわり過ぎないバランス美磨きを

ここ4~5年でサロンを訪れるお客さまのカラーがガラリと変わりました。

それは「毛穴」「ほうれい線」「一本のしわ」など「一つのパーツ」に、異常なこだわりを見せる方が増えたということです。

14年以上エステサロンを経営してますが、そこにはすごく異様な感覚を覚えています。

現代は、ある程度「外見」がよい人の方がコミュニケーション能力や経済活動的に生産性が高いと見なされがちなので、みなさん身だしなみなどとても気にされていると思いますし、そういう意味でお手入れの行き届いている清潔感を求めるのは悪くないと感じますし、

肌のツヤ、男らしい体形、女らしい体形などの「外見の美しさ」は、本能的に生物としての生殖能力を反映した判断基準にすることがあるので、若い方ならある程度そういう自分への向き合い方も必要な時があると思います。

でもアラフィフ世代の方が、まるで「毛穴がある自分など絶対許せない、死んだ方がマシ」かのように自己否定する姿には戸惑いを覚えます。…だっていたって健康で正常な毛穴をしていらっしゃるから…。

それは「誰か」との比較から生まれる「劣等感」なんでしょうか?「若さ」への執着や「老化」への恐怖なのでしょうか?本気で考えさせられます。

安易に美容医療で肌質改善や整形が出来る時代になったので(とはいっても…美容医療といえどもできることとできないこともあります)かえって外見への執着、パーツへの執着が強くなってしまったのでしょうか?

若い頃は、自分のコンプレックスを克服することがモチベーションになったり、学びになったりしていました。いろんなことを経験する中で、世の中には変えられるモノと変えられないモノ、買えるものと買えないものがあるということをリアルに学んで行くわけですよね。

ましてや、親になり自分の子供の成長を目の当たりにしたときに「わたしも年をとるわけだよねAHHH」と「失ったものもあるかもしれないけど、子供の成長や自立というご褒美が私にはあったな…」とつくづく感じた時に幸福感に満たされたりするものなのではないのですか?

「美しく歳を重ねるとか」「年を重ねても美しい人」というのは、いくつになっても若く見える事を追求している人でも見た目の若さや外見の事ばかり考えている人ではないはず。

エイジングによる自身の変化を受け入れながらも、人生のステージに相応しい役割をこなすためのに内面を成長させたり、今の自分に相応しいふるまいなどを身に着けたりと、内外共に磨き上げてきた人の事をいうはずなんです。

アラフィフ世代からは、パーツにこだわるのではなく心と肌と体のバランス美を磨いてほしいです。ゆっくりでもいいので自分のエイジングを受け入れながら…